
野田クラクションべべー
この信濃町で、
LAMPで、生きていく。
Member Interview
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人生を明るくする。そして、やさしい世界をつくる。そんなLAMPの思想を体現する上で、もっとも重要なのが「人」。というわけで、スタッフ紹介記事をつくることにしました。今回登場するのは、The SaunaをスタートさせたLAMP野尻湖支配人の野田クラクションべべーさんです。
元・野球少年のムードメーカー
はじまりのサウナ。想像と情熱で作り上げたサウナ小屋。
堂々と存在感のある薪ストーブは、まさにサウナの心臓そのもの。
室内の照明は薄暗く、火のゆらめき、薪の弾ける音、サウナストーンに注ぐ光など、存在そのものの美しさを感じることができます。
べべさんって、実は東京出身なんですよね。
ベベそうですね。地元は、東京の下北沢あたりです。
めちゃくちゃ都会じゃないですか。当時、どんな少年だったんですか?
べべどこにでもいる普通の野球少年でしたね。小学5年生くらいで友だちに誘われて野球チームに入りました。毎週末は二子玉川までチャリで通って野球をするのが日常。結局、高校まで野球を続けて、大学時代も少年野球のコーチをしていました。
どっぷり野球に浸かっていたんですね。ちなみにその頃はどんなキャラクターだったんですか?
べべ“ムードメーカー”とはよく言われましたね。野球部の先輩に呼ばれて教室に行って一発ギャグやって盛り上げる、みたいな。そういうキャラクターは、今と変わらないんじゃないかなぁ。もともと野田家は、父も母もめちゃくちゃ明るくてよく喋るんです。そのDNAがあるのかもしれません。
就職するときは、どんなことを考えていたんですか?
ベベ当時、地元の居酒屋で働いているとき、当時下北沢に会社があった編集プロダクション・プレスラボの社員さんがよく飲みに来てくれたんです。そこで就職の話題になったとき「野田ちゃん、どんなことしたいの?」って聞かれて。「みなさんみたいな仕事がしたいです」って答えたら、出版やWeb業界の仕組みを教えてくれたり、今でもお世話になっている編集者さんが雑誌の小さな仕事をくれたりしました。そんな中で、当時“世界一即戦力の男”としてインターネットを席巻した菊地良さんが、もともとLAMPの母体だったWeb制作会社LIGの社員としてめちゃくちゃおもしろいWebコンテンツをつくっていることを教えてもらって。もともとお笑いが好きだったこともあり、「インターネットの世界でお笑いをビジネスにできるのか!」とビビっと来て、すぐに「インターンしたいです」とメールを送りました。
お笑いがもともと好きだったんですね。
べべ一度メールでは断られたんですけど、「話だけ聞いてください!」と熱意で押して、なんとか面談にこぎつけて。面談でも「やっぱり採用できない」という話になったんですが、「何でもやります、気合いならあります!」と伝えたら、当時社長の吉原ゴウさんに「何でもやるんだったら、会社としては採らないけれど、俺が個人的に面倒を見る」と言ってくれたんです。
無茶振りに応え続けた、LIGのインターン
熱意で押し切ったんですね。その後は、どんな経験を?
ベベ基本的には「無茶振りに応えていく」みたいな感じですね。毎日ブログを書くのはまだいいものの、アメリカを横断する、Tシャツを1カ月で300枚売る、なんてこともありました。アメリカ横断中、仕方なく野宿したこともあったんですが、そこまでしたらもう大体のことが恐くなくなっちゃって。変なマインドがつくられていっちゃいました。
どうしてそこまでできたんでしょう?
べべうーん、大学までいわば“普通の人”として生きてきたんで、そのレールが途切れる恐さをずっと感じていました。周りの学生はいろいろな企業の説明会やインターンに参加して就職活動を進めている。自分はこのLIGに入れなかったら、もうレールから外れてしまう。そんな変な焦りを、当時は抱いていましたね。
無茶振りに応えるのが嫌にはならなかった……?
べべ「これをどうやったら達成できるか」って考えるのが好きだったり、一度決めたことは絶対やり切る、みたいな性格ではあったりするので。あと、無茶振りでも、一度持ち帰って冷静になって考えて、「これならできる」という落とし所を提案するのは意識していました。ただ言われたことをやっちゃうと、周りからの見た目も悪いじゃないですか。プロレスでラリアットが飛んできて受け身が取れなかったら、もうそれはいじめみたいになっちゃうけれど、ちゃんと受け身が取れたらエンターテインメントになる。そんなイジられ方の受け身は、野球部自体から身につけていた部分でもありましたね。
「何でも応える」スタンスを見つめ直し、サウナ事業をつくりだす

今、べべさんはLAMP野尻湖支配人になっていますよね。無茶振りに応える立場からどのように意識や立場が変わっていったんでしょうか?
べべ一度、「ラッパーになれ」という無茶振りがありました。でも、もともとはどこにでもいる野球少年。社会に対して中指を立てたり、社会に何かを訴えたいみたいな強い想いが自分の中になくて。ライブでラップを披露しても、あまりなりきれないというか。それでお客さんのリアクションが微妙でも、何だか悔しくなかったんです。このままラップを続けても、誰にとっても良くないなと悩むようになって。そんなとき、たまたま「嫌われる勇気」という本を手に取って、エクセルシオールカフェで読んだら、響いちゃったんですよね。取捨選択することが大切なんだ、断ることで救われる世界線があるんだ、って。
そこで「何でも応える」以外の道をさがすようになった。
べべその後、先輩とも話す中で「本当に『何でも応える』がやりたいことなの?」と問われたりしたのも大きかったですね。本当に人生のターニングポイントでした。その後、「じゃあ、いざ自分で何をするか」と考えたときに、黙っていても自分がお金を使ってついやっちゃうこととしてサウナが思い浮かんで。「これが俺は好きなんだ、これをやろう!」と決めて、動き始めたんです。
そうして、The Saunaが生まれたんですね。
べべ事業化についてゴウさんからもアドバイスをいただきながら、利益を生むためにできることを全部洗い出して、毎日コツコツ取り組んで、ようやくかたちになってきて。「さぁ、これからだ!」ってときにコロナ禍になってしまいました。でも、かえってそれが良かった。
と、いいますと?
べべそれまでがむしゃらにサウナ事業に取り組んでいましたが、サウナだけではLAMPは成り立たないんです。それにサウナは「自分がやる」と決めて始めた事業だから、自分一人で頑張らないといけないと思っていたんですが、コロナ禍で時間に余裕ができたスタッフの人が一生懸命夜中まで手伝ってくれた。「自分はみんなに支えられていたんだ、ここに仲間がいるじゃないか」って強く実感しましたね。サウナの二号棟カクシ -Kaksi-をつくるときは、みんなで丸太を運んだり、オフのときに釣りや山菜採りをしたりして日々を過ごしました。みんなでサウナをつくり、みんなで信濃町を知った、この期間で「この信濃町で、このLAMPで、自分は生きていきたい」と強く思いましたね。
将来は、LAMPのシルバー人材として生きる老後を
だんだん、視点が「自分」から「チーム」に変わっていったんですね。
べべ結構、自分って「0→1」をつくる人だと思われているかもしれないんですけど、実際は「1→10」をつくる人なんです。1を生み出す社長のマメさんの言葉をかみ砕いて、10にしてチームに渡していく。そして、チームのみんなが100をつくってくれる。それがLAMPのチームワークなんだろうと思います。
チームのみんなに言葉を渡すときには、どんなことを意識していますか?
べべ対話の量を増やすことですかね。LAMPの特徴は、なんと言っても人なんだから、そこに一番時間を使うべきだという考えがあります。そして、こちらから一方的に答えを渡さない。みんなが悩んでいることに対して、自分の体験がリンクしている場合、「俺はこうやって乗り越えたけどね」という経験を参考として伝えるけれど、「こうすべき」と押しつけることはしない。答えではなく、ヒントを与えて、みんなが主体的に動けるようになるきっかけをもたらすことができる人間になれたらいいなと思っています。
そんなべべさんが、今後やりたいことってありますか?
べべうーん、今は家族がいて、家も買ったので、家族と過ごして、サウナに入れたらいいなという感じですかね。やっぱり僕の性格上、大きな野望とかを打ち立てられないんですよ。身の丈以上の目標は立てられないのが悩みですね。
あくまで“普通の人”ではあるんですね。
べべあ、でも、将来LAMPでシルバー人材になるのは、夢かもしれない。お金はいらないから、駐車場でお客さんを案内したりする老後を過ごせたらいいなぁ。そのためにも、LAMPを続けないといけないですね!
それにここに集まるのは

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