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マメ共平

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代表

人間が人間らしくあるための“なんかいい場所”を。

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人生を明るくする。そして、やさしい世界をつくる。そんなLAMPの思想を体現する上で、もっとも重要なのが「人」。というわけで、スタッフ紹介記事をつくることにしました。今回ついに登場するのは、LAMPを率いる社長・マメ共平さんです。

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20代前半。行きつ戻りつ道を歩いた

マメさんは、今はLAMPの社長ですが、もともとは料理人だったんですよね。そもそもどうして料理の道に?

マメ実は、最初から志を持って料理の道を選んだというよりは、それ以外の道を選ぶ余裕がなかったというのもあったんですよね。というのも、高校卒業するときに、家業の本屋を畳むという話が出て。とにかく手に職をつけようと、専門学校の進学用冊子をパラパラめくって、たまたま出たのが新宿の調理専門学校だったんです。

そこから料理の道へ?

マメとはいえ、まだ料理に真剣に向き合っていなかったですね。専門学校卒業後も就職せず、フラフラしていました。その様子を見ていた当時の彼女が、しびれを切らして半分あきれながら「埼玉の百貨店に入っているパン屋で友だちが働いていて、人手が足りていないと言っている」と言ってきて。そのまま彼女に小言を言われ続けるのも癪だったから、その友だち経由で連絡したらすぐにアルバイトで採用されたんです。

パン屋がマメさんのファーストキャリアだったんですね。実際に働いてみていかがでしたか?

マメこれは俺の謎な性格なんだけど、「やる」と決めたらめちゃくちゃやり込むんですよね。振り上げた刀を中途半端に下ろすことができないというか。だから、誰よりも早く出勤して準備していたし、シフトが終わっても先輩に「これってどうするんですか?」「この工程にはどんな意味があるんですか?」って聞きまくっていた。その結果、5つのポジションがあって、技術を習得するのにそれぞれ1年ずつかかるって言われていたところを、1年ですべて身につけました。

5倍のスピード……!

マメそれくらい人よりやっている自負はあったからね。その後、本部の偉い人に本店で働くように言われて青山に異動したんですけど、当時は尖っていたから周りと衝突して、レシピ開発の部門に回されることになって。そんな日々を過ごしている中で、ふと「俺って別にパン屋になりたいわけじゃないんだよな」って気付いてしまった。そして、パン屋を辞めて、埼玉の実家に戻ってきて、漫画喫茶や工場で働いたり、トラックの運転手をしたりしていましたね。

覚悟を決めて進んだ、料理の道とLAMPというフィールド

<strong>その状況から、どうやってもう一度飲食の道へ?</strong>

マメトラックの運転手をやっていたときは、まだ25歳。こんなに体力あるんだったら、ちゃんと好きなことに打ち込まないともったいないなって思ったんです。遡って考えてみたら、何だかんだ料理は楽しかったし、そもそも根本で好きじゃなかったらあんなにパン屋に打ち込むことはなかったなと。そこで、やっと「料理で生きていこう」と覚悟が決まりました。

そこで本格的にキャリアがスタートした。

マメ25歳から料理を始めるとなると、すでにキャリアとしては出遅れている。30歳で料理長になるという目標を立てて、残された5年間をどう過ごすかを考えました。そして、拘束時間が少ない韓国料理屋でバイトしつつ、勤務後の空いた時間で都心の高級料理店に「洗い物だけでいいからやらせてください」と手紙を書いて修業させてもらったり、料理本をすり切れるほど読んだりしたんです。合計で30店舗くらいは修業させてもらったんじゃないかな。365日昼夜問わず、ずっと料理のことだけを考えていましたね。

「30歳で料理人」という目標はいかがでしたか?

マメそんな生活を始めて3年目くらい。28歳くらいのときに高級料理店の料理人の包丁捌きとか鍋振りとかを見ても、そんなに遜色ない状態になっている、なんなら自分の方が勝っているんじゃないかという実感が湧いてきて。一旦、これで就職活動をしてみようと思って、自分が気に入った都内のレストランに正社員として就職。その後、半年くらいで料理長に。目標を達成した以降も、新店舗出店やレシピ開発、店舗運営までさまざまな業務を経験させてもらいました。

料理人としてのキャリアがつくられてきたんですね。

マメその後、独立して、ケータリングの仕事をするように。そのときに出会ったのが、元々LAMPの母体だったWeb制作会社LIGの代表・吉原ゴウくん。彼から「LAMPで料理できる人を探しているんだけどどう?」と声をかけられたんです。

それがLAMPとの出会い。

マメケータリングで食べることはできてはいるけれど、一生の仕事ではないと思っていたし、東京のキラキラしているように見えた世界が、何だか消費の論理にまみれて中身がないように感じてしまっていた。だから、信濃町に行くのもいいかもなと思って、LAMPで働くことにしました。

その後、いかがでしたか?

マメ自分自身のキャリアを考えても、料理を作れるだけじゃダメだと思っていたし、自分が満足いく生き方ができている状態になるには、LAMPを担える存在にならなければいけないと考えてました。まずはLAMPが目指すべき売上から逆算して、「1万人が訪れること」をスタートラインに置くことに。そのためには美味しいご飯を出さなきゃいけないし、接客が地域ナンバーワンじゃないといけない。飲食も宿泊も“サービス業の総合芸術”なんですよ。逆に言えば、最高に旨いメシと気持ちのいい接客ができれば、1万人の集客は容易だと思いました。実際に、現在年間1万人近い人がLAMPを訪れてくれています。

父から授かった、“なんかいい”を感じ取る審美眼

マメさんのキャリアについてよくわかった気がします。ちなみに社会に出る前は、どんな経験をしてきたんですか?

マメ父は芸術や骨董に詳しくて。その影響を強く受けてきた気がしますね。たとえば、都内の美術館によく連れて行ってくれました。本質的に“いいもの”に触れさせてもらう機会は多かったように思いますね。

その影響を感じることってありますか?

マメ審美眼というか、言語化する以前の“なんかいい”という感覚は養われた気がします。たとえば「ケーキを真ん中で美しく切る」って実はめちゃくちゃ難しいんですよ。料理を教える側になっていろいろな人を見てきたけれど、僕の感覚では真ん中で切れた人は1割もいないんじゃないかなぁ。というのも、“この辺りで切ると、ちょうど真ん中になって美しい”という感覚って言語化して教えられるものじゃないんですよね。でも、俺の場合は、その感覚が結構あって、当時の料理長からも褒めてもらいましたね。

その“なんかいい”を察知する審美眼は、LAMPにどのように活かされているんですか?

マメたとえば「1億円のビジネスを10億円に伸ばす」みたいなとき、その計画を立てる際には言語化能力って役に立つと思うんだけど、「よくわからないけれど、LAMPって“なんかいい場所”だよね」って感覚を醸成させる際には、その審美眼がなきゃいけないと思う。俺が小さい頃、父に見せられた歴史に残る芸術品やアート作品なんかは、もちろん理論上その素晴らしさを説明できることもあるかもしれないけれど、“なんかいい”という評価で成り立っているとしか言いようがないものが多いと思うんだよね。

自分自身も生きやすい世の中であるために

マメさんがLAMPをつくる理由ってなんですか?

マメ基本的にすごく生きづらい世の中だと思うけれど、社会や政治のせいにばかりしていられないじゃないですか。そうなったときに自分が唯一できることは、おいしいご飯が出て、気持ちいい人間がそこにいて、心地いい空間を用意して、「帰ってきたい」と思える場所をつくり続けることかなと思っているんです。それが回り回って自分自身が生きやすい世の中にもつながっていく。

マメさん自身も。

マメ逆接的だけど、僕ってずっと寝ていたいし、漫画を読み続けていたい怠惰な人間なんですよ(笑)。だって、小学校2年生から35年間ジャンプを買うことを休んだことがありませんから。基本的に人間って、だらしなくて、どうしようもないところがあると思うんです。でも、世の中には自分を律することができる人間の方が声が優れていて、怠惰な人間が劣っている、みたいな認識ってあるじゃないですか。それって、人間が人間らしくあることの否定だと思っていて。自分自身を含め、怠惰な人間であっても生きやすくあるために、そうした人が差別されない“やさしい世界”であるために、LAMPが頑張らないといけないなと考えています。

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